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エピソード3 2011/05/17
 

毎日牛丼を食べて毎日吉野家で働いた、というよりは入り浸っていた
仕事が終わると仲間とディスコに行き踊るわけでもなくただ飲み放題、食べ放題が目的で閉店までいてその後アマンドの2階で寝ていたり、始発で山手線に乗り寝ていて何周も回っていたり、酔っ払って警察のお世話になったり、今考えるとこのコロが一番楽しかった気がする
仲間も多彩で学生はもちろん、ミュージシャン、役者の卵、肉が食えないのに牛丼屋で働き毎日肉抜きの牛丼を食べてるやつ等等、、、青春だったのかな
アメリカ行きの準備も進めていた。新橋店にその年の6月にロサンゼルスの吉野家に店長で行くのがいて「俺、先に行っているのでその時は、雇ってくれ」ただその6月に吉野家が倒産してその約束は実現しなかった

エピソード2 2011/05/17
 

吉野家で、初めての飲食業、初めは、「いらっしゃいませ」「有難うございました」と、ゆうのが上手く言えなくて苦労しました。やっと慣れたある日カウンターで食べている年配の男性に「顔にご飯粒付いてますよ」と「どこ」て聞かれるもんでよく見ると、いぼかなんかで、あわてて「取れました」とごまかしたり、また別の日なんかは、おあいそを終えて帰ろうとした人が醤油を持って店から出ようとしていたので「お客さんだめですよ醤油持ってちゃ」醤油を取り返して、カウンターを片付けていると、やられた七味がない、、、吉野家では注文されたものをいかに早く提供するかに燃えていたので、カウンターの中の床に水をまき滑って丼を運んでいた。ある日不覚にも滑って転んでしまった、ただ両手に持った丼は、放さずしかも中身がこぼれていない、拍手が起こった。

番外1 2011/05/17
 

上の写真は、昭和53年浜松へ研修


下は、寮にて

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エピソード1 2011/05/17
 

九州の商業高校を卒業して東京の商社に就職した
アメリカに行きたかったのでがんばれば行かせてもらえると信じてた。最初に配属になったのが大田区平和島の倉庫。仲間も出来て面白かったが高卒は、ずっと倉庫みたいだし外国に行けるのかも分らなかった。こりゃー、自分で行くしかないなと思い1年半で商社を退職した。
ただ渡米の手続きや準備ですぐには行けずとりあえず吉野家の新橋店でアルバイトする事にした。時給も良かったし、牛丼も食べられる。それだけの理由である。これが飲食業の第一歩となる。話は戻るが商社の寮が大田区蒲田にありなかなかにぎやかでいろいろ誘惑が多かったが寮監さんが元自衛隊の教官で鬼だった。朝は1年生が先輩より早く起き階段の下で起床ラッパのごとく「起床」と叫ぶのである。仕事を終えて帰るときも「住吉以下3名只今より帰ります」と、だから寄り道は出来ないし、休み以外は外出禁止、休みの日も、門限があり、遅れようものなら1ヶ月外出禁止、ただ厳しかったおかげで1年半で100万円貯まった。寮監さん夫婦には退職後もいろいろお世話になって行く所がないときなど、寮に泊めてもらったり飯を食わしてもらったり今でも感謝しています。余談ですが、義務教育を終えたら全員自衛隊に何ヶ月間か入隊する。そうゆう仕組みが若者たちのその後の人生にプラスになると思うのですが


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