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番外3 2011/05/17
 

前の会社で、優秀社員に選ばれた根本、村松
ご褒美で、ハワイ旅行
私は、付き添い
現在、根本は、御用寿司上溝店店長
村松は、南門店店長
不思議な、縁である

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エピソード21 2011/05/17
 

の21,22歳頃、開店の店だけでなく問題がある店にも行った。
埼玉県東松山市、駅の改札の横に店があるのだが、ただ行く様に言われただけで、他の会社の店を見れるので楽しみだった。行ってみて、社員が一人いたのだが、元気がなく、何しに来た、て感じ、アルバイトも覇気がない、ん、、その日雨が降っていて、夜裏口がノックされ、高校生ぐらいの男の子が立っていた「ビニール袋下さい」、雨が降っていたので必要なんだろうと思い、アルバイトの子に渡すように言った。次の日の夜もビニール袋を貰いに来た、今日は、雨は、降っていない、なんかオカシイ、実は、裏でシンナーを吸っていたのだ、それも店のアルバイトも何人かいるようだ。そして信じられない事にその子達のボスがこの店の社員だった。
そしてこのボスと店の裏で決闘、私も血が上ってあまり覚えてないが、たぶん殴り合いには、なってないと思う。社員は、辞めることになり、アルバイトも半数以上やめた。それから暫くいて、この店のオーナーに引き継いだ。そして「有難うございます」と礼を言われた。
後で聞いた話によるとオーナーが何とかしてくれと本部に泣き付いて来て、私が行くようになったみたいだが、私だけが知らなかったみたいだ。この頃より、胃が痛くなり、病院に行くと先生が
「神経性胃炎です」

エピソード20 2011/05/17
 

この頃よく他社の店の開店の手伝いに行った
その中で印象に残っているのは、まず滋賀県草津、琵琶湖の近くで、開店というので朝からかなり忙しく、握りっぱなしだ、昼過ぎ、向こうの方から手渡しで紙コップが回ってくる、それもみんなで「ロッテリア」と言いながら、、何だ~、、そして、隣のやつが、それを飲めと言うのだ。
飲んでみたらそれは、日本酒、しばらくするとまた「ロッテリア~」、、何杯飲んだだろう、しまいには、口が回らなくなり「いらっしゃいましぇ~」「有難うござんす」
もう一軒が長野県諏訪市、滋賀県のときは、4店目の開店だったので、スタッフも沢山いて、ある意味楽だったが、今回は、初めての開店、それも諏訪湖の花火大会の日だ。
むちゃくちゃ忙しく、店が回っていない、握っても握っても、前のカウンターに座っているお客様から注文が来る、そのうち横からも注文が来る、ん、、横で握っているやつが、注文しているのだ、「自分で受けた注文を俺に回すな」、、窓から見える諏訪湖の花火、とても綺麗だった。

エピソード19 2011/05/17
 

私が社員になった頃ユニークな従業員が多かった
通勤にチャイナ服で来るカンフー狂い、こいつは、閉店間際になると俄然張り切り寿司を握り始める、残らして自分で食おうとしているのだ。もう一人は、自分では、元ヤクザだと言っていて刺青をしているのだが、へたくそな刺青で、本人は、ボタンに蝶だと自慢しているが、どう見てもキャベツにピーマンに見える。今考えるとどうしてこんなのが社員でいたのか疑問だが、その頃、二人とも店が終わって、遊んでいたので、あまり気にならなかった。店長もいい加減で、営業中、いなくなったり、よく遅刻もした。そんな時私は、怒鳴って、雑巾を投げつけた事もあったが、これまた今思えば考えられない事である。食べに来る人も蒲田という土地柄、ヤクザ関係や、酔っ払いも多く、中には、私に抱きついてくる男もいた。ただこの頃毎日楽しく面白かった。

エピソード18 2011/05/17
 

特許管理士になる為昼間勉強し夜は、寿司屋でアルバイトという生活が続いた。この頃になると寿司屋の社長や、FC本部の部長に、社員にならないかと誘われていた。仕事も楽しかったし、仲間もいたし、なってもいいかなと思い始めていたが、試験だけは、受けて置きたかった。「特許管理士の試験を受けて、落ちたら社員になります」と答えそして試験を受けた。自信は、あったのだが、なかなか通知が来ない、こりゃ落ちたな、、社長に話8月1日付で社員になるということになった。それから2日後通知が来た、「合格」、、社長に聞かれた「どうする?」、、「一度社員になると言ったので頑張ります」と答えた。


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